ちからとこころ
2015年JET日本語学校 スピーチコンテスト 最優秀賞
「ちからとこころ」
ナターシャ・レストゥニンシー・トゥギオノ(インドネシア)
皆さんおはようございます、Dクラスのナターシャと申します。
今これから私は、学生時代の頃に経験した『努力と決心』についてお話しします。よろしくお願いします。
皆さんの中で学生時代、成績が悪かった人がいますか?もしいても、恥ずかしく思わないで下さい。私もそうでしたから。私はクラス順位で生徒30人中、下から2番目でした。そうとうひどかったです、落ちこぼれでした。数学50点、理科40点、英語50点,そのくりかえし。でも、体育だけは90点以上でした。担任の先生からもこう言われたことがありました、「ナターシャ、おまえ、もう明日から学校来るな」と。でも、私は翌日になると、「あっ、先生おはようございまーす!また学校来ちゃいました!えへへ」と、言い返しました。
その他にも、高校1年生から2年生に上がれなかった時期もありました。その頃はもう一度1年生をやり直し、やっと2年生に上がることができました。もちろん色々なプレッシャーもありましたし、そのせいで何度も長い期間無断欠席をしたこともありました。どうして自分はダメなの?どうして自分はみんなみたいになれないの?どうして自分はみんなとは違うの?と悩みました。そういうことを毎回毎回頭の中でくりかえし、自分を責め続けていました。けれど、『努力と諦めが悪いこと』だけは、自分の救いで唯一の特技でした。だからそこで諦めずに、最後までやりきろうと思うことができました。
努力だけで一位になれる保証はありませんし、100点を取れる保証もありませんが、乗り越えようとする気持ちこそが、一番大切なことではないかと私はそう思います。人それぞれですが、私にとっては順番なんてどうでもいい。私は一位にもなれなかったし、100点も取れませんでした。学生として、そういう優等生的なことはできませんでした。けれど、頑張って努力をして、卒業までもできて、その時の状況を乗り越えることができた。それは、私の一番のじまんで嬉しかったことでした。
まぁ、卒業証明書に書かれてあった点数は物凄くひどくて、見せられたものではなかったですが!
そう。だから、上手くいかなくてもいい。失敗してもいいから、やり続けましょう。失敗は成功への道です。私は落ちこぼれ呼ばわりされたおかげで、強くなれました。失敗して、努力したおかげで、色々なことを学ぶことができました。辛かったですがその代り、人生のために役立つ何かを得たと、今になって実感します。
次は、決心についてです。
また、昔の頃の話に戻りますが、私は高校2年生の時、自分から学校をやめる決意をしました。理由は、そのころ母が急に重い病気にかかってしまい、私が母の看病をすることになったからです。当時母は私と二人暮らしで、母には私しかいませんでした。だから私は、学校に通いながらも母の看病をするのはとても大変だと感じ、学校をやめる決断をしました。当然、色々な人から反対はされました、「学校をやめて、おまえは何になる」と。けれど、その頃の私の想いは、たった一つだけでした―
―「私はまだ若い、いつだって、なんどだって、やり直せる。でも、母の寿命は、いつまでだろう?」
学校をやめた2年後、私が二十歳をむかえる頃に母は亡くなりました。とても悲しかったし、辛かったです。けれど、後悔だけはなかったです。その2年間、母と一緒にいられる時間が増え、看病もでき、母の最期まで看取ることができて、とても幸せだった思っています。もしあの時、私が学校をやめずに、母の看病もできず、そばにいられないまま母が亡くなっていたら―私は高校を卒業できてもずっと後悔していたでしょう。
大切なのは自分で何かを判断し、決心し、それを最後までやりとげることです。ただただ他の人・上の人からの命令や指示にしたがうだけではなく、自分のいしで動く。自分で何かを動かす力を持つことです。私たちはただ周りの期待どおりに動くだけのカラクリ人形ではない。ただ、周りを喜ばせるためだけのピエロでもないです。そのことを誰もが自覚するべきだと、私はそう思います。
努力の「力」はつまり「ちから」。決心の「心」はつまり「こころ」。「ちからとこころ」はお互い手をつなぎ合って、強いものになるのです。
これで私のスピーチを終わります、聞いてくださり有難うございました。
「ちからとこころ」
ナターシャ・レストゥニンシー・トゥギオノ(インドネシア)
皆さんおはようございます、Dクラスのナターシャと申します。
今これから私は、学生時代の頃に経験した『努力と決心』についてお話しします。よろしくお願いします。
皆さんの中で学生時代、成績が悪かった人がいますか?もしいても、恥ずかしく思わないで下さい。私もそうでしたから。私はクラス順位で生徒30人中、下から2番目でした。そうとうひどかったです、落ちこぼれでした。数学50点、理科40点、英語50点,そのくりかえし。でも、体育だけは90点以上でした。担任の先生からもこう言われたことがありました、「ナターシャ、おまえ、もう明日から学校来るな」と。でも、私は翌日になると、「あっ、先生おはようございまーす!また学校来ちゃいました!えへへ」と、言い返しました。
その他にも、高校1年生から2年生に上がれなかった時期もありました。その頃はもう一度1年生をやり直し、やっと2年生に上がることができました。もちろん色々なプレッシャーもありましたし、そのせいで何度も長い期間無断欠席をしたこともありました。どうして自分はダメなの?どうして自分はみんなみたいになれないの?どうして自分はみんなとは違うの?と悩みました。そういうことを毎回毎回頭の中でくりかえし、自分を責め続けていました。けれど、『努力と諦めが悪いこと』だけは、自分の救いで唯一の特技でした。だからそこで諦めずに、最後までやりきろうと思うことができました。
努力だけで一位になれる保証はありませんし、100点を取れる保証もありませんが、乗り越えようとする気持ちこそが、一番大切なことではないかと私はそう思います。人それぞれですが、私にとっては順番なんてどうでもいい。私は一位にもなれなかったし、100点も取れませんでした。学生として、そういう優等生的なことはできませんでした。けれど、頑張って努力をして、卒業までもできて、その時の状況を乗り越えることができた。それは、私の一番のじまんで嬉しかったことでした。
まぁ、卒業証明書に書かれてあった点数は物凄くひどくて、見せられたものではなかったですが!
そう。だから、上手くいかなくてもいい。失敗してもいいから、やり続けましょう。失敗は成功への道です。私は落ちこぼれ呼ばわりされたおかげで、強くなれました。失敗して、努力したおかげで、色々なことを学ぶことができました。辛かったですがその代り、人生のために役立つ何かを得たと、今になって実感します。
次は、決心についてです。
また、昔の頃の話に戻りますが、私は高校2年生の時、自分から学校をやめる決意をしました。理由は、そのころ母が急に重い病気にかかってしまい、私が母の看病をすることになったからです。当時母は私と二人暮らしで、母には私しかいませんでした。だから私は、学校に通いながらも母の看病をするのはとても大変だと感じ、学校をやめる決断をしました。当然、色々な人から反対はされました、「学校をやめて、おまえは何になる」と。けれど、その頃の私の想いは、たった一つだけでした―
―「私はまだ若い、いつだって、なんどだって、やり直せる。でも、母の寿命は、いつまでだろう?」
学校をやめた2年後、私が二十歳をむかえる頃に母は亡くなりました。とても悲しかったし、辛かったです。けれど、後悔だけはなかったです。その2年間、母と一緒にいられる時間が増え、看病もでき、母の最期まで看取ることができて、とても幸せだった思っています。もしあの時、私が学校をやめずに、母の看病もできず、そばにいられないまま母が亡くなっていたら―私は高校を卒業できてもずっと後悔していたでしょう。
大切なのは自分で何かを判断し、決心し、それを最後までやりとげることです。ただただ他の人・上の人からの命令や指示にしたがうだけではなく、自分のいしで動く。自分で何かを動かす力を持つことです。私たちはただ周りの期待どおりに動くだけのカラクリ人形ではない。ただ、周りを喜ばせるためだけのピエロでもないです。そのことを誰もが自覚するべきだと、私はそう思います。
努力の「力」はつまり「ちから」。決心の「心」はつまり「こころ」。「ちからとこころ」はお互い手をつなぎ合って、強いものになるのです。
これで私のスピーチを終わります、聞いてくださり有難うございました。